【レジェンダリーな俺たち Vol.13】

時代を飾ったギターたちが我が店舗を飾ってくれました。
それらを回顧すると共に歴史を紐解いていくコーナー

【レジェンダリーな俺たち】

第12回はアコースティックギターのボディサイズのトレンドを180度転換させた
Martin 000-42EC
です。

実際は、このギターがトレンドを大逆転させた、というよりはこのギターを(実際はこのギターのオリジナルを)HEROが使用した事でムーブメントが起きました。
更にはそれはDから000への人々の関心の移行に留まらず、ロックなエレキバンド、デジタル楽器の普及により役目を終えつつあったかのようにも扱われていたアコースティックギターの存在意義を再認識させる次元まで昇華させる出来事でした。

Martin 000-42EC このモデルは単にEric Claptonシグネチャーという位置付けに留まらず、誰がどのような楽器を使うかで流れが一気に変わる事を皮肉にも証明したのでした。

逸話としてはNAMM SHOW発表から僅かな時間で完売した事は今でも語り草で、当時国内楽器店では全額前金預かりでやっと「仮予約」の順番待ち、数量が不足した場合は返金という、現在では考えられない手法で予約が取られるほどの話題振りでした。
この大成功を受け、続いて000-28ECの量産体制が整えられいまだレギュラーモデルとして定着している他、節目節目でECシグネチャーモデルが数多造られ都度話題が耐えないはこびとなります。

さて、ここでポイントなのは「クラプトンのMTVでの000サウンドが素晴らしかったから000が流行ったのか?」という事です。
おそれずに答えを求めれば、それは「NO」でしょう。

そう、あの時Dreadnoughtを持って登場していたら「あぁ、やっぱりMartinはDなんだ」となっていたでしょうし、D-45を持とうものならCSN同等かそれ以上(時代背景的にD-45も手に入るギターとなっている事から)の評価をされていたでしょう。

「000だったから」ではなく「クラプトンが使ったから」000がDに並ぶ人気、生産台数に迫ったのです。

先日アメリカの著名ヴィンテージショップオーナーのブログにて「D-28はどのようにして伝説のD-28になったのか?」というものがありました。
大変興味深い内容で、D-28にはスーパースターが付随しないのです。
たしかにそれにはクラレンス・ホワイトやトニー・ライス、ハンク・ウィリアムスなど、歴代記念モデルがリリースされるような偉大なアーティストの存在が皆無ではないのですが、いずれかのアーティストが突出して露出が多かったから伝説になったギターではない、それは僅かな要素であり、その真価はD-28そのものにあり、更にはMartin自身がD-28の良さを幾度となく再認識させてきた、という内容でした。

こうした評価のされ方をするギターは実はそう多くはありません。
今名前を挙げたスター達も実際のレコード音源でD-28を使っていたのか?、はたまたLIVEでの使用頻度が高かったのか?、白黒テレビでもなくラジオがやっとの時代にそれを知る術はありませんでした。
しかしD-28はD-28たるのです。

000-42ECが市場にリリースされ出す1995年前後はD-28の年間製造本数が1200本台に対して000-28は僅かに200本にも及ばない状況でした。
それが000-28ECは一気に同数程度に並び一躍製造が追いつかない程の驚異的な伸び幅を示すのです。
もちろんMartinに限らずアコギ全体の母数が飛躍します。

今回は一つのレジェンドギターの紹介というよりはアーティストと楽器の強い繋がり、時に起こるその計り知れない影響力にフォーカスしました。
過去には商業的に成功しなくても非常に素晴らしいギターはいくらでもあります。
しかし企業である以上どのブランドも「売れない良品」を作り続ける事は難しいのです、そう、誰かが使うまでは、、、

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イシバシ楽器心斎橋店

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