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ノエル・ギャラガー来日記念

文:池袋店サブマネージャー・小林/神戸三宮店WEB担当・礒山

チェイシング・イエスタデイ(初回生産限定盤)
チェイシング・イエスタデイ(初回生産限定盤)

1994年のデビューから2009年の解散まで大ヒット曲をいくつも生み出し人気を博したロックバンド、OASISの元ギタリスト兼ボーカリストであり、現在ではソロとして活躍し続けているノエル・ギャラガー。そのノエルがこの度2015年2月にリリースしたセカンド・アルバムを引っさげて自身のバンドによる来日公演を果たします。

「Japan Tour 2015」と題し、2015年4月6日(月)、4月7日(火)大阪フェスティバルホールを皮切りに同16日(木)東京 日本武道館にて締めくくる今回のツアーのチケットは即日完売し、日本武道館と大阪フェスティバルホールでは1日ずつの追加公演も決定するという人気ぶり。Noel Gallagher's High Flying Birds名義で今年の2月にリリースされた「CHASING YESTERDAY」の世界観を生で楽しめる絶好の機会となるでしょう。

世界的なロックバンド、ビートルズを敬愛し、ローリング・ストーンズやセックス・ピストルズのサウンドに大きな影響を受けて、数多くのヒット曲を出してきたOASISは、ブリティッシュ・ロックの中でもより大衆的に昇華しブリット・ポップという新たなジャンルを確立させました。

いわゆる労働者階級の生まれであるギャラガー兄弟。兄のノエルは、ザック・ワイルドやニルヴァーナのカート・コバーンより1つ年下で、ブリット・ポップ2大バンドのもう一方の雄、ブラーのフロントマン、デーモン・アルバーンと同じ1967年生まれであり、今年の5月に48歳を迎えます。幼少時代、アルコール依存症であった父親からの暴力に耐える日々の中で、学校へは不登校気味となり、15歳で教師に対する愚行により退学処分を受けてしまいます。そしてノエルは10代にして働き始め、13歳の頃に初めてギターを手にして独学で学び、イギリスのインディー・ロックバンド「The Smiths」に憧れ、ギタリストを目指すようになります。また、5歳下の弟、リアム・ギャラガーとは「世界で最も有名な兄弟喧嘩」と言っても過言ではない程に喧嘩エピソードが絶えない事でも有名です。

Definitely Maybe (Remastered) (Deluxe)
Definitely Maybe (Remastered) (Deluxe)

20歳を過ぎた頃にはマンチェスター・サウンドを代表するインスパイラル・カーペッツのローディーを2年間程務める事となり、その後24歳の頃に既に弟のリアムが加入していたバンドをノエルが纏め上げる形で新生OASISが誕生します。翌年にインディーズ・レーベルであるクリエイション・レコーズと契約し、初のシングルCD「スーパーソニック」でUKチャート31位と華々しいデビューを果たします。また、同年にはアルバムCDもリリースし大ヒットを記録。年末には「ホワットエヴァー」を発売、全英3位となりOASISの伝説を作る引き金となりました。日本でもCM等に多数使用されていた事もあり、20年経った今でも多くのリスナーの耳に鮮やかに残っている事でしょう。

そしてソロとして活動し続ける今でも、彼の「らしさ」は健在。葛藤や新たな考え方の中で、より洗練された「Noel Gallagher's High Flying Birds」のサウンドを世に放ち続けています。

音楽シーンが活発になっている恵まれていた時代に過酷な人生を生き抜き、偉大な先人の軌跡をなぞりながら自分たちなりの表現を見つけ出した彼らの音楽には、明るい未来を渇望したようなどこか哀愁ただよう美しくも心打つ歌詞と、メロディアスな曲が見事に混ざり合った素晴らしい世界観があり、多くのオーディエンスを魅了してきました。

今回はそんなOASISとNoel Gallagher's High Flying Birdsで使用されている楽器をご紹介させていただきます。

ノエル・ギャラガーとエピフォン

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Epiphone / Les Paul Standard
Epiphone / Les Paul Standard
※参考画像

OASISの伝説はエピフォンのギターと共に始まったと言って過言ではありません。OASISのデビューシングルとなる「Supersonic」のレコーディング、当時のライブパフォーマンスにおいて活躍しているのがエピフォン製のレスポール・スタンダードなのです。このシングルのプロモーションビデオやジャケットにもエピフォン製のレスポール・スタンダードを弾く姿が映っており、時代の寵児となる直前のノエルがギブソンではなく、エピフォンのレスポールからキャリアをスタートさせているところが興味深いですね。

Epiphone Limited Edition Union Jack Sheraton
Epiphone Limited Edition Union Jack Sheraton
※参考画像

また初期OASISにおいてはエピフォンのセミアコースティックギターの存在も見逃すわけにはいきません。それは上述のレスポールの様なギブソンの廉価版モデルではなく、エピフォン・オリジナルモデルとしてラインナップしていたモデル、リヴィエラシェラトンです。リヴィエラは初期OASISのサイドギタリストであるポール・“ボーンヘッド”・アーサーズがカラー違い(ブラウン)でメインギターとして使用しており、そちらの方がイメージが強かったりしますが、ノエルもリヴィエラ(ワインレッドカラー)を使用しています。ノエル、ボーンヘッド共に使用しているリヴィエラはオリジナルのフレクエンサター・テイルピース、ミニハムバッカーではなく、フルサイズのハムバッカー、ストップテイルのモダンな仕様が特徴的でおそらく70年代以降の日本製のもののようです。2ndアルバム「(What's the Story) Morning Glory?」をリリースした95年頃の使用が顕著でこの年のノエルのギターと言えばリヴィエラと言えるでしょう。2nd収録曲のミュージックビデオでは必殺アンセム「Don't Look Back in Anger 」を始め、「Morning Glory」や「Champagne Supernova」「Roll With It 」などでも演奏している姿が見受けられます。この時期ではライブでも使用頻度は高く、映像音源では「Live by the Sea」で確認できますので是非チェックしてみて下さい。この時期はリードギター、サイドギター共にリヴィエラを使用していたこともあり、OASISと言えばリヴィエラ! とイメージされている方も多くいらっしゃるかと思います。後にEpiphoneから発売されたノエルのシグネイチャーモデル“Supernova”はこのリヴィエラと類似している点が多く、恐らくこれを基に製作されているものと思われます。また使用頻度は高くないですがビグズビー・トレモロユニットを搭載したブラウンカラーのリヴィエラも1st収録の「Shakermaker」のプロモーションビデオで使用しており、恐らくこのモデルの方を先に使い始めたのだと思われます。94年頃はライブでもギブソンレスポール・スタンダードのサブギターとして控えていたようです。

Epiphone Super Nova
Epiphone Super Nova
※参考画像

そしてエピフォンのラインナップでは上記リヴィエラと共に人気の高いモデル、シェラトン。OASISの絶頂期を象徴する96年の歴史的ギグ、ネブワース公演や同年のツアーで使用されたユニオンジャックのペイントが施されたシェラトンが何と言っても有名ですね。延べ25万人が集まったギグでこのギターが演奏される様子は、まるで「イギリス全土をOASISが制覇してやったぜ!」とギターが叫んでいるかのようです。余談ですが、この時かつてないほどの膨大な数のオーディエンスの盛り上がりに圧倒されたノエルは思わず“This is History!!(これは歴史だ!)”と叫んだと言われています。映像音源では同年のマンチェスター公演を収録した「...There and Then」で演奏している姿が確認できます。ノエルのシグネイチャーモデル“Supernova”でもユニオンジャックカラーのものが存在していましたが、上述の通りノエルが使用していたリヴィエラの仕様を主に踏襲していたようで、ピックアップ、ヘッドのデザイン、指板のインレイ、トグルスイッチの位置、テールピースの種類、ハードウェアのカラー、ピックガードの有無など本人所有のシェラトンとは異なるものでした。

そんな中、昨年エピフォンから“ブリティッシュ・インヴェイジョン”(ビートルズをはじめイギリスのアーティストの音楽がアメリカを席巻した現象)から50周年を記念した限定モデルとしてLimited Edition Union Jack Sheratonが発売された事は記憶に新しいですが、これこそまさにノエル所有機のシェラトンにドンズバです(強いて希望を言えばボディサイドとバックにもユニオンジャックがペイントされていれば完璧でした)。シグネチャーモデルのユニオンジャックカラーのものは今ではプレミア価格で取引される程に入手が難しいため、今お探しの方にはこのリミテッドモデルがオススメです。ちなみにノエルが所有しているユニオンジャックシェラトンは96年当時、前妻のメグ・マシューズからプレゼントされたものをリフィニッシュしたもののようです。

ノエルはもう1本色違いのサンバーストのシェラトンも所有していますが、このギターは3rdアルバム「Be Here Now」のツアーとして行われた日本武道館公演(何と3日連続でした)でも終始メインギターとして活躍しておりますので、記憶に残っている方も多いのではないかと思います。所有しているリヴィエラとは対照的に、この個体は60年代のヴィンテージだそうでミニハムバッカー、フレクエンサター・テイルピースのオリジナルスタイルが特徴的。ユニオンジャックシェラトンとも仕様は同じですね。97年~98年はこのシェラトンがノエルのメインギターと言えそうです。

2000年以降ノエルがエピフォンのギターを使用することはなくなりますが、OASIS最後となる7thアルバム「Dig Out Your Soul」のレコーディングでは60年代のヴィンテージのカジノとジョン・レノンシグネイチャーカジノを使用したこともインタビューで語っています。

ノエル・ギャラガーとギブソン

ノエルがエピフォンのレスポールからギブソンのレスポールへ持ち替えたのは、デビューシングル「Supersonic」をリリースし、1stアルバム「Definitely Maybe」のレコーディングを始めた頃です。ようやく失業から抜け出してお金を手にし、憧れのギブソンを手に入れた...というわけではなく、実は同郷マンチェスターの偉大な先輩ギタリストであるジョニー・マー(The Smiths)から借りていたものでした。そのレスポールは、ジョニー・マーがスミス時代からガンガン使っていたチェリー・サンバーストカラーの60年製レスポール・スタンダードで、元は何とピート・タウンゼント(The Who)から購入したものと言われています。リアのハムバッカーがオープンコイルになっているのが特徴ですね。

Gibson Les Paul Standard
Gibson Les Paul Standard
※参考画像

このレスポール・スタンダードは1stアルバム「Definitely Maybe」に収録された「Slide Away」やOASISの代表曲「Live Forever」のレコーディングで使用された様です。しかし不運にもその後ライブ中にトラブルに巻き込まれ、ギターを破損してしまうという悲しい結末を迎えることになります。レスポール・スタンダードを破損してしまったノエルに対し、ジョニー・マーは怒るどころか、所有しているヴィンテージのレスポール・カスタムを貸し出すという何とも器の大きい対応をみせます。ちなみにこれはジョニー・マーがスミス時代に「The Queen Is Dead」を書いた時のギターだとジョニー・マーも語っています。

このレスポールカスタムはピックガード、エスカッション、トグルスイッチプレートなどのプラスティックパーツがクリームカラーの為、一見レスポール・スタンダードのような雰囲気を持っており、ピックアップはフロント、リア共にオープンコイルの仕様となっています。屈指の名曲「ホワットエヴァー」のプロモーションビデオでも弾いている姿が確認できます。ピックガードに“oasis”のステッカーが貼られているのも特徴です。

また、あまりイメージに無いかもしれませんが、ファイヤーバードフライングVも一時期使用しています。初代サイドギタリストであるボーンヘッドの後任として99年に加入したゲム・アーチャーのメインギターこそファイヤーバードですが、先駆けてノエルもファイヤーバードを使用していました。ノンリバースボディシェイプの67年製ファイヤーバードにフルサイズのハムバッカーを搭載したものやP-90ピックアップを3基搭載したものなど数種類所有しているようです。「Live Forever(USバージョン)」や「Cigarettes & Alcohol 」のミュージックビデオで弾いているのが確認できます。

フライングVは60年代製の個体らしく、3rdアルバム「Be Here Now」収録の「 D'You Know What I Mean? 」のミュージックビデオで弾く姿が見受けられますが、ライブやレコーディングでは使用されなかった様です。4thアルバム「Standing on the Shoulder of Giants」がリリースされた2000年頃からは再びバーストカラーのレスポール・スタンダードを使用する場面も増え、2000年のウェンブリー・スタジアムでの公演を収録した映像音源「Familiar to Millions」では初期の太くラウドなサウンドが必要な曲ではレスポール・スタンダードへ持ち替えており、ニール・ヤングのカバー「Hey Hey,My My」ではビグズビートレモロアームを搭載したレスポールカスタムも使用しています。これ以降バンドが解散する2009年までライブの初期のOASISナンバーではレスポール・スタンダードが度々登場することになります。

Gibson ES-355
Gibson ES-355
※参考画像

97年頃頃からステージ上でエピフォン、シェラトンのサブギターとして徐々に頭角を現し始め、2000年以降現在までは不動のメインギターとなったのが現在のノエルの代名詞とも言える60年製ES-355。特に若いファンの間では最も印象づいているギターでしょう。そもそも、このES-355を手にしたきっかけはジョニー・マーが80年代のスミス在籍時に使用していた59年製ES-355を弾く姿に影響を受けたとノエル自身も語っていますが、エピフォンのリヴィエラ、シェラトンを経てセミアコースティックギターに魅力を感じていたからこそ選んだ1本なのではないでしょうか。本人も体の一部というほど絶大な信頼を置いており、5thアルバム「Heathen Chemistry」以降はレコーディング、ライブともに活躍していきます。ES-355はこの個体以外にもエボニーカラーのストップテイルピース仕様のものソロになってからは使用することもあるようです。

そしてES-355のサブギターとしてライブでも使用されるのがES-345。こちらはメインのES-355とは異なり、アームユニットは搭載されていない個体ですが、機能として共通しているのは、いずれもバリトン(Vari-tone)スイッチを搭載している点です。これはコンデンサを通して可変することによって、低域をカットしていき独特のサウンドを作り出す機構をもっており、スタンダードなハムバッカーの音色からシングル・ピックアップにも似た軽めの音色まで容易にアレンジする事ができるので、ノエル本人にとってもライブやレコーディングで使いやすいポイントなのかも知れませんね。ノエルは“1”のポジションを基本使用しているようです。他にもセミアコースティックモデルはファイアーバードスタイルのヘッドストックを特徴とする60年代製のトリニ・ロペスモデルも6th「Don't Believe the Truth」の頃は出演した音楽番組などで弾く姿が見られますが、レコーディングなどでは使用されなかったようです。

OASISとして最後の来日となったのは解散の約1ヶ月前に行われたFuji Rock Festival 2009のヘッドライナーとしての公演。もちろんライブでのメインギターはES-355、初期のナンバーに至ってはレスポール・スタンダードと後期OASISではお馴染みの使い分けではありましたが、アンコールの最後を飾るビートルズのカバー曲「I Am The Walrus」で使用されたのは何とSGスタンダード。日本での最後の公演がこのギターで締めくくられたのは非常に意外でしたが、やはりSGもギブソンを代表するギターなのか、レスポールにも負けないアグレッシブなサウンドを鳴らしていました。OASISサウンドとして何も違和感も感じさせない、素晴らしいサウンドでしたね。元は通称板バネと呼ばれるヴァイブローラトレモロを搭載したSGですが、アームは外され、プレート部分のみを残しています。プレートがあるとSGのルックスもガラッと印象が変わりますが、こうしたスタイルはトム・ヨーク(Radiohead)なども実際に行っております。

ノエル・ギャラガーとフェンダー

主にギブソン系のギターを使用することの多いノエルですが、フェンダーのギターも所有しており、ライブでも時折披露しています。特に使用頻度が高かったのは4thアルバム「Standing Shoulder Of Giants」の頃でしょう。

Familiar to Millions(DVD)
Familiar to Millions(DVD)

OASIS時代は仕様の違うテレキャスターをいろいろと使用していましたが、有名なのは2000年のウェンブリー・スタジアムでの公演を収録した映像音源「Familiar to Millions」でも確認できるピックガードの無いピンク・ペイズリー模様のテレキャスター。この公演では最初の「Go Let It Out」を始め「Wonderwall」「Don't Look Back In Anger」などテレキャスターの繊細なサウンドがマッチする場面で使用されています。このテレキャスターは2005年に行われた地元マンチェスターの凱旋公演では白いピックガードが取り付けられており、ルックスにも変化が見受けられます。その模様は映像音源「Lord Don't Slow Me Down」で確認できます。

他にも「Standing Shoulder Of Giants」のツアーで行われた来日公演でも披露されたバインディングが施されたカスタムテレキャスターなど複数本所有しています。OASISのラストアルバムとなる7thアルバム「Dig Out Your Soul」ではリードトラック「The Shock of the Lightning 」のミュージックビデオでピックガードとボディに1枚ずつ星型のステッカーが貼られたテレキャスターを使用しており、こちらの個体にはフロントにハムバッカーを搭載。スピード感のあるこの楽曲の雰囲気に合いますね。また実際に使用していたかどうか不明ですが「Be Here Now」のアルバムジャケットの中身に薄いソニックブルーカラーのジャガーを抱えている姿も確認できます。フェンダーではありませんが、今回のニューアルバム「Chasing Yesterday」ではナッシュギターズのストラトキャスター・タイプやテレキャスター・タイプ、テレキャスター・デラックス・タイプをレコーディングで使用しており、「Ballad of the Mighty I」のミュージックビデオでもストラトキャスタータイプを弾いている姿が確認できます。ストラトを抱える姿はこれまでなく、とても新鮮味を感じさせますね。テレキャスタータイプは今回のアルバムで作曲にも活躍したようです。

ノエル・ギャラガーとリッケンバッカー

デビュー当時は使用している姿こそ見受けられなかったものの、レコーディング等では使用されていたリッケンバッカー。ノエルが使用しているもので有名なものはメイプルグローの330でしょう。ピースマークのステッカーが貼られているのが特徴的な1本で、4thアルバム「Standing on the Shoulder of Giants」では「Go Let It Out!」や「Who Feels Love?」のレコーディングで使用されたようです。もちろんライブでも使用しており、映像音源「Familiar to Millions」で確認できます。

このメイプルグローカラーの330とは別にホワイトカラーでブラックピックガード仕様の330という珍しいモデルも97年頃使用しており、「P」のステッカーがボディに貼られています。この頃は「Wonderwall」で使用しており、リズムギターを演奏する曲での使用が多いようです。元々はポール・ウェラー(The Jam、Style Council)がThe Jam時代に使用していたものをノエルの30歳の誕生日プレゼントとして贈ったものみたいですね。現在では使用することはありませんが、中期OASISのサウンドには欠かせないギターであったと思います。また330はノエルが敬愛するピート・タウンゼント、ポール・ウェラー、ジョニー・マーが愛用してきたモデルでもあります。

ノエル・ギャラガーとアコースティックギター

Epiphone / EJ-200
Epiphone / EJ-200
※参考画像

エレキギターと比べてアコースティックギターに関してはそこまで多くのギターを使用しているわけではなさそうです。OASIS結成時からデビュー頃まで使用してきたのがGibson J-200の廉価モデルであるEpiphone EJ-200。主に作曲にはこのギターを使っていた