- 1960年代後期、YAMAHAなど日本の楽器メーカーがアコースティックギターを発売し始めました。今でも流れは続いている「ウェスタンタイプ」と「フォークタイプ」の2種類のサイズが主流でした。 これはもともとMartin社のアコースティックギター、「ドレッドノート」と「OOO(トリプルオー)」を模範にしたものだったのです。 Martinはいつの時代でもアコースティックギターの代表であり、模範であり、かつて「Martinにライバルは存在しない」とまで広告されたこともありました。 Martinの歴史を紐解くこと、これがつまりはアコースティックギターの歴史を紐解くこととイコールであるといっても過言ではありません!
2013年、「Martin」社は創立180周年を迎えます。
Martinギターのヘッドに印字された「1833」、この数字は創始者クリスチャン・フレデリック・マーティン(CF)がドイツからニューヨークに移住し自身の店を構えた年、つまりは「Martin」ギターの始まりを意味する数字なのです。
1839年には、現在もMartin社があるペンシルベニア州ナザレスに移り、より本格的にギター製作が開始されます。この頃、今やほとんどのアコースティックギターに採用されている「Xブレーシング」が発明されます。その後、1859年に今も現存する煉瓦作りの工場が建立されます。
1873年にCFマーティンJr(ナザレスの市長としても活躍)に引き継がれ、1888年には近代Martinの基礎を作り上げたフランク・ヘンリー・マーティンへと引き継がれます。彼の時代に「シリアルナンバー制度」「ドレッドノート」「14フレットジョイント」が生み出されます。
1898年から現在に至るまでMartinのギターには1本1本に「シリアルナンバー」が刻印されていきます。
1916年に、オリヴァー・ディットソン商会のハリー・ハント氏の提案でフランクが設計した「ドレッドノート」が誕生します。当時は小さなパーラーサイズのギターが主流だったのに対してドレッドノートは極端に大きく、当時世界最大にして最強の英国戦艦ドレッドノート号にちなんでこう呼ばれていました。
1929年に、バンジョー奏者のペリー・ベクテルがMartin社を訪れ、当時12フレットジョイントだったMartinギターに「14フレットジョイント」を発案します。そこで、フランクがOOOボディを改造し、14フレットジョイントのネックをつけ「OM(オーケストラモデル)」が誕生します。
1931年には、今も尚多くのギタリストから愛され続けている“永遠のスタンダード”「D-28」の原形D-2の製造が開始されます。
1933年に、当時Singing Cowboyとして有名なスーパースター“ジーン・オートリー”オーダーによる「D-45」が誕生します。その後、Martinギターにおける各部のデザインや構造にいろいろな変更が加わります。
1939年にXブレーシングの交差位置がややブリッジ側に変更され、1944年にはスキャロップドXブレーシングがノン・スキャロップドXブレーシングに変更されます。これは当時ヘヴィゲージ弦の使用が主流で、それに対する補強のためになされたのです。
1945年には、CFマーティン3世がMartin社を引き継ぐことになります。
1971年には、現在のMartin社本社及び工場がシカモア通りに完成し、フランク・ハーバード・マーティンが社長に就任します。
1979年には、待望のカスタムショップが設立され、カスタム・オーダーが可能になります。
1986年には、現会長のクリス・マーティンが経営を引き継ぎます。
1992年に、新時代のAフレーム・ブレーシングを採用したD-1が誕生し、手ごろな価格でMartinギターを手に入れられるようになります。また、トラベルギターとして現在も人気の高いBackpackerも誕生します。
1994年には、Martin社初のシグネイチャーモデルD-45 Gene Autryが発売されます。
1995年には、ギターの神様「エリック・クラプトン」シグネイチャーモデルOOO-28ECが発表されます。
1999年にMartin社の工場をおよそ2倍に拡張し、2011年にはトータル製造本数が150万本を突破し、現在も多くのギタリストに愛されるギターを作り続けています。
現在Martin社は、アメリカのペンシルベニア州ナザレス/シカモアストリートに構える工場(1964年から生産開始)と、メキシコ北部のナヴァホアに構える工場(1989年に弦の生産を開始)とで生産を続けております。 メキシコ工場では、全てのMartin弦、Backpacker、S1ウクレレ、ハイプレッシャーラミネイトを採用したXシリーズなどが生産されています。