Ishibashi Mail Magazine Vol.33 |
LIFE OF CHANGE / CONDITION GREEN
 | 70年代の半ば、沖縄で米兵たちに最も人気のあったバンド「紫」と人気を二分していたバンド がこの「CONDITION GREEN」だ。メンバーはヴォーカルにカッチャン、ギターにシンキ、ベースに エディー、ドラムにターケという4人編成のハードロックバンドであった。
沖縄で米兵相手にライブを行っている時、ボーカルのカッチャンがヘビやニワトリの頭を食い ちぎったり、フロントの3人が肩車をし、人間3段タワーをやるなど、ステージ・パフォーマンスが ド派手な事で、本土の方にも徐々に噂は広がった。ライブではオリジナル曲に加えて、ジミヘンや ジョニー・ウインター、テッド・ニュージェントといかにも米兵に受けそうな曲を行っていたのも この時代のバンドには珍しかったといえよう。
この時期、本土では紫が大ヒットしており、少し陰に隠れた存在となってしまっているが、この バンドの火付けは意外なところであった。77年に「たまりまセブン」というバラエティー番組が あったのだが、その番組内に何故かコンディション・グリーンが出演していた。よくあるバラエ ティーの番組に子供が見たらひいてしまいそうなバンドが、いきなり出てきて演奏をするのだ。 この時演奏していた曲が「コンディション・トレイン」と言う曲で、ヴォーカルのカッチャンが タバコの煙を口いっぱいに溜め、汽車の煙を見たてて演奏中に煙を吐き出すという、子供受け しそうなパフォーマンスを行ったのだ。これが大ヒット!当時、シングル盤を購入しました。
そしてこのバンドが初上陸単独ライブを行ったのが、77年8月の中野サンプラザであった。 私の席は結構前のほうで、ギターのシンキが使っていたWAHペダルもはっきり見えた。そして、 ナント言っても歪み系のエフェクトをつながないで、何でここまでイイ音で歪むんだろうと不思議 に思ったし、この時がマーシャルのみの純然たる歪みを聞いたのが初めてだったと思う。 当然このライブにも座間や横田基地から米兵が押し寄せており、外タレのライブさながらだった 事も通常の日本のバンドでないことを立証していた。
このアルバムが発売されるのはこのライブから、半年以上後の78年に入ってからとなる。 サウンド的にはやはりライブで発揮するバンドのため、少し迫力にかける点もあるが、ギターの シンキのギター・テクニックは日本のジミヘンといっても過言ではないと思う。残念なのは 前記の「コンディション・トレイン」が収録されていない点であり、この後もこの曲はCD化 されていない。実に残念!
78年の後半に紫が突然解散。そして紫のドラマー、チビこと宮永英一はこの後、コンディション ・グリーンに電撃参戦。ツインドラマーという当時の日本のバンドではあまり無かったスタイルを バンドに取り入れている。79年にはドラムのターケに代わって、エツを加入させアルバム「MIX−UP」 を発売している。このアルバムのほうがハードな仕上がりをしているかもしれない。
この後、バンドは分裂状態になりそれぞれ独自のバンドへと進化させていくのだ。70年中期から 後半にかけてのオキナワン・ロックは鋭いものがあった。いま、形をかえて再び琉球出身のバンドが ミュージックシーンを賑わしている。その原点ともいえるのがここにある。 とにかくこの1枚を聞け!
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