Ishibashi Mail Magazine

もう一度、この一枚を聞け! バックナンバー

「イシバシ・メールマガジン」初回発行以来、継続している人気コーナー”この1枚を聞け”の全てのバックナンバーを掲載しました。アルバム発売当時の時代背景やエピソードも満載!ややマニアックな一枚をもう一度要チェックです!


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吼えろ! / BOW WOW



 キャロル、外道やマキオズ(カルメンマキ&OZ)に夢中になっていた70年代半ばで
あったが、76年に衝撃のデビューを飾ったのがこのBOW WOWである。前記のバンドが
泥臭さのあるバンドとすると、こちらはかなりアイドル性のあるハードロックバンドで
あったに違いない。

 BOW WOWとのはじめての出会いは高校入試の数日前に行ったエアロスミス初来日公演
での事で、前座バンド(当時はこの様に言っていた)が付くという。それが何を隠そう
BOW WOWであった。コンサートが始まる前にプログラムを見ると、何だかアイドルっぽい
顔立ちのメンバーが写っていてかなり馬鹿にした状態で開演を待った。そして演奏が
始まったらこれがナント、強烈にカッコいいではないか!ギターはジミヘンばりのソロ
を弾くし、もろに私のツボに入るサウンドであった。コンサートが全て終わってみれば
手抜きっぽかったエアロより全然良かったのを覚えている。そしてその数ヵ月後に
KISSの初来日でも同じく前座で出演。このときもカッコよかったのです!

 そしてこのアルバムを77年の春にようやく入手。(当然レコード)針を下ろすと一曲
目から強烈に速いギターではないか!この当時、速弾きギターリストといえばTEN YEAR
THE AFTERのアルベン・リーくらいしか思いつかなかったのに、下手をするとそれを
上回るのではないかとも思ったほど。日本人も遂にここまで来たかという感じでもあった。

 曲の歌詞は日本語4曲と英語3曲にインスト1曲という構成で、その中でも私が最も好きな
曲は”ジェイムスの小箱”(James In My Casket)という曲で、ジミヘンに捧げた曲として
も有名であった。曲中にジミヘンの曲名が多数出てくるのもシャレている。何よりも
ギターのサウンドがとてつもなく凄い。後にCDを入手した時にライナーの中に、この曲は
たった2テイクで録音されたらしい。この時代を物語るかのようなアグレッシブさだ。

 また意外なことにデビュー当時、このバンドは東京・立川で合宿生活をしていた。私の
地元が近隣の福生という町だったということもあって、よく密かに見に行ったものだ。
デビュー当時使用していたステージに早代わりしてしまう”BOW WOW トラック”もこの近く
に駐車してあり、三多摩地区のロック少年にはたまらないスポットでもあった。
 そしてその”のめり込み”から遂にファンクラブにまで入会してしまうのだ。この当時は
女性ファンが圧倒的であったため、初めて参加した”ファンの集い”なるモノは、200人
近い参加者のなかで、私を含め男性が4〜5人しかいなかった辛い思い出もある。

 バンドはこの後、数年後にPOP路線へと変更していき、この時点であまり聞かなくなって
しまった。一度、ハード路線に戻っては来るがこのデビュー当時のメンバーでの活動は
なくなる。そして84年にバンド名をVOW WOWに改名、バンドパートもGt×2、Ba、Drから
Vo、Gt、Ba、Key、Drに変更し、ブリティッシュ色の濃いハードロックバンドへと変貌を
遂げていくのであった。

 最近、またBOW WOWは再結成している。前記の”ジェイムスの小箱”(James In My Casket)
もニューレコーディングされているようである。しかし、あえてこの古い音源の方を聞いて
もらいたい。計算されたサウンドではなく、本当の一発録りのロックがそこにあるのだ。
とにかくこの1枚を聞け!