Ishibashi Mail Magazine Vol.3

第3話 リッチーブラックモアとフェイザー
1978年2月3日(金)日本武道館

 1978年は初来日するアーティストが非常に多い年であったのを記憶している。
ビートルズ並みの”キャーキャー度”であったチープトリック、新宿厚生年金
会館で行われたヴァンヘイレン、スモークの中から現れたジューダス、物凄い
照明が印象的だったジェネシス、この他にもフランク・マリノやテッド・ニュー
ジェント等のキャラの濃いギターリストも続々初来日を果たしている。

 その中でも2度目の来日を果たしたのはキッスと御大リッチー率いるレインボー
であった。レインボー自体76年に初来日を果たすが、78年の来日時には既に
2名のメンバーが変わっていた。ベースのジミー・べインがボブ・デイズリーに
キーボードのトニー・カレイがデヴィッド・ストーンにと相変わらずの首切りが
来日時の雑誌を良く賑わせていたのを記憶しています。

 この年のレインボーの東京公演は異様な雰囲気に包まれていた。それは数日前に
行われた札幌公演にて観客の将棋倒しに巻き込まれ、女の子が圧死してしまった
と言う、日本の来日アーティスト史上最悪の事件になってしまった。この日を
境に日本でのロックコンサートの警備、バリケード等が強化されたのは言うまでも
無いと思う。

 そんな中、オープニングアクトの四人囃子がスタート。このバンドも非常に
好きだった為、二度オイシイ状況。そしてレインボーがスタートする前に確か
武道館全体で黙祷を捧げた記憶がある。
オープニングの「オーバー・ザ・レインボー」が流れる中、”KILL THE KING”
にてカッコ良く登場!音的にもどちらかと言うとこの年のレインボーの方が
私の好みに合っているし、なにしろコージーがまたカッコよかった!

 コンサートの中盤に名曲「キャッチ・ザ・レインボー」が始まる。この時に
加わるエフェクターこそが「フェイザー」である。このときのリッチーは確か
ドイツ製の「ナンバー1・コンパクト・フェイジング」と言うフェイザーを
使用しており、フェイズ・スピードにあわせてコントロール部に付いている
LEDが点いたり消えたりする、実に珍しい代物。私もかなりのヴィンテージEFを
いろいろ見てきたが、12年程前に一度海外から買い付け、販売した事があるだけ。
その時に音を出してみたが、紛れも無く「キャッチ・ザ・レインボー」のイントロ
の音がするではないか!
フェイザーの波は非常に微妙で機種が違っただけでも、まりっきり違う雰囲気に
なってしまうエフェクターであり、リッチー自身はMXR社のフェイズ100やフェイズ90も
使用していると何かの雑誌に書いてあるところを見たが、あの音はMXRでは出ない
サウンドと私は思う。

 リッチー自体、殆どエフェクターを使用しないアーティストの為、なぜこのフェ
イザーにしたかは定かではないが、人と同じ事をしない人だと言うことからも
このようなマイナーブランドのエフェクターを使用したのではないかと、勝手に
思い込んでいる次第です。
そしてこの2年後の80年の5月にメンバーを一新して3度目の来日を果たす。私と
してはレインボーの歴史のなかでは一番好きな頃で、グラハム・ボネットの歌は
鋭くカッコよく、楽曲も完全に私好みになった。そしてこのコンサートをまだ
デビュー前のANTHEMの柴田氏といった事も明確に覚えている!

 この間、ブートレッグでしか出回っていなかった「ライブ・イン・ミュンヘン」
が遂にDVD化された。この来日時のメンバーでの演奏でリッチーが嫌いだったキーボード
のデヴィッド・ストーンのソロが私はとても好きだ。最近、この手の昔ネタが続々
発売されお金が続かない状況です。そんな中、UKの紙ジャケも発売だ!買わなきゃ!

by JS

MXR


テープエコーと文中のフェイザー


78年来日時のチケット


80年来日時のチケット


80年代に発売されたリッチー関連雑誌


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