Ishibashi Mail Magazine

もう一度、この一枚を聞け! バックナンバー

「イシバシ・メールマガジン」初回発行以来、継続している人気コーナー”この1枚を聞け”の全てのバックナンバーを掲載しました。アルバム発売当時の時代背景やエピソードも満載!ややマニアックな一枚をもう一度要チェックです!


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この一枚を聞け! [G-FORCE / G-FORCE]



 2011年の2月、ゲイリー・ムーアが他界した。ハードロック出身のギターリストであったが、晩年はブルースに音楽的趣向を移行していた。今回、紹介するアルバムはそのゲイリーがハードロックでスターダムにのし上るポイントになったとも言える作品である。

 このバンドの始まりはTHIN LIZZYからあるともいえる。78年、脱退したギターリスト。ブライアン・ロバートソンの後任としてLIZZYに加入したのがゲイリーである。加入したその年にバンドはツアーに出るが、ドラムのブライアン・ダウニーが家族の病気を理由にツアーには参加できないことになってしまった。

 代役としてツアーのドラマーになったのはイアン・ギラン・バンド等に参加していた技巧派ドラマー、マーク・ナシーフであった。この頃の二人の雄姿は「THE BOYS ARE BACK IN TOWN」というLIZZYのライブDVDの中で確認できる。音の録音状態は決して良いとはいえないが、こちらの方もチェックしてもらいたい。

 翌年、LIZZYにドラマーのブライアンが復帰し、アルバムのレコーディングに入る。この出来上がったアルバムこそがLIZZYの名盤「BLACK ROSE」である。当然、全英ではNO.1アルバムになった事は言うまでもない。順風満帆に思われていたバンド状態であったが、アルバム発売直後にゲイリーは脱退してしまうのだ。この年、LIZZYの日本公演が予定されており、ゲイリー・ムーアなる凄いギターリストが遂に日本でも見られると話題になっていた矢先の事であった。実際、来日はしたのだがステージに立っていたギターリストはゲイリーではなく、代役のミッジ・ユーロ(ウルトラヴォックス)であった。何を隠そう私もその会場にいた一人で、ある意味レアーなライブであったが会場でのブーイングは言うまでもなかった。

 80年、ゲイリーは新たなプロジェクトのために動き出した。前記に出てきたドラムのマーク・ナシーフと作ったバンドこそがこの”G-FORCE”なんです。音を聞いてみてまず感じるのが、”なんだこのギターの音は?”なのです。LIZZY時代のゲイリーの音とはまるっきり違うドライブサウンドでした。当時、言われていた表現では”ダブリング・サウンド”などと言われていました。原音にピッチを少しズラした音を重ねて、音に厚みを持たせるという技であった。今の時代では、ピッチシフター等を使い、簡単に出来ることであったがこの時代はアナログ全盛の時代、それはもうビックリというサウンド・メイキングでありました。

 このアルバムを引っさげ、バンドはホワイトスネイクの前座として初のツアーに出ることになったが、レコーディングで作り上げた音のレベルをライブで再現する事は難しかった。加えて所属レーベルがアメリカでの発売を見送った事からバンドは座礁する。

 バンドは80年開催のレディング・フェスティバルにソロになったばかりのオジー・オズボーンと共に出演する事になっていたが、オジーの出演キャンセルに合わせるかのようにあっけなく解散してしまうのだ! アルバム1枚で解散って、潔いにもほどがあります(笑)

 この後からゲイリーはバンドに所属する事はなくなった。よほどバンドでの思い出が良くなかったのか、常にソロアーティストとしての活動で、レコーディングのスタイルもさまざまであった。ソロ名義で発売したアルバムに参加したアーティストは、誰でも知っているプレイヤーがたくさん参加したのもゲイリーの才能であったのではないか。

 2010年、実に21年ぶりに来日を果たし、日本のファンにその雄姿を見せたのであったが、今年2月に急死してしまった。ここのところハードロック界でのアーティストの他界が多い。ハードロック高年齢化などとも言われているが、まだまだ頑張ってもらわないと困るのである。とにかくこの1枚を聞け!!

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