もう一度、この一枚を聞け! バックナンバー
![]() のがこの2作目「QUATRO」。解りやすいタイトルなのだが邦題は「陶酔のアイドル・ク アトロ」と当時良くあった”ど〜して?”というタイトルがついている。 73年に「SUZI QUATRO」でデビュー。それまで女性ロッカーは多数いたがベースを プレイする女性アーティストはいなかった。ファーストアルバムも名盤ではあるが このセカンドには私の中での超名曲「Wild One」がオープニングである。更にライブ でも定番の「Devil Gate Drive」も収録されている。このアルバムが発売された直後 にスージーは初来日を果たしている。自分は見ていないが後に友人から聞いたところ コンサートは1時間少々しかなく、結構ブーイングも出ていたらしい。今程女性ロッカー が出現していなかったこの時代では良くあったパターンで、ランナウェイズもゴーゴーズ も実に演奏時間が短かかったのを良く覚えている。 スージーの特徴といえばバックメンバーが全て男性で、後にその中のギターリスト レン・タッキーと結婚している。しかも70年代後期、スージーは日本で人気が凄く 確か結婚式も白無垢姿で日本で挙げており、当時の音楽誌に記事として取り上げられ ていた。日本好きは更にエスカレートし、酒の宣伝にも出てきて「サケロック」とか 言わされていたのがファンとっては悲しかった。 そのスージー、やはり似合うベースはプレシジョン・ベース。白のローズネックに ブラックナイロンの弦が非常にカッコよかった。後期のほうではBC・RICHとかも持って いたがやはりPBが彼女のシンボル。また、私がスージーを見たのが77年に来日した時と、 90年に来日した時の川崎クラブチッタでのライブであった。この時のオープニングは 予想通りの「Wild One」でこの時40歳であったはずの彼女は年を感じさせないプレイ であった。しかも公演時間もこの時は2時間近くと満足の内容。しかし、シンボルの PBではなく”ステイタス”のベースでこの時はプレイしていた。 このアルバムの後、2〜3作は同じような路線で走っていたが、70年後期からよく解ら ないディスコ調(死語?)等を取り入れ始めてから、全く聞かなくなってしまった。 唯一のライブアルバムである77年の来日公演を収めてある「LIVE & KICKIN」も録音 状態はあまりよくはないが、当時の臨場感は非常に伝わってくる力作である。 今年、そのスージーはニューアルバムをリリースしている。まだ、シーンに残って いるのも知らなかったが、既に50代半ばのはず。日本でも私の崇拝する永チャンが9月の 14日で57歳になった。50代がロックし続けることができるその環境、自分もそんな環境を 作っていきたいと思う今日この頃です。”エニウェイ、やるしかない!” by JS |