Ishibashi Mail Magazine

もう一度、この一枚を聞け! バックナンバー

「イシバシ・メールマガジン」初回発行以来、継続している人気コーナー”この1枚を聞け”の全てのバックナンバーを掲載しました。アルバム発売当時の時代背景やエピソードも満載!ややマニアックな一枚をもう一度要チェックです!


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CHINATOWN / THIN LIZZY


シン・リジーが初めて日本に来日したのが1979年の事である。アルバム
「BLACK ROSE」がリリースされ、遂にゲイリー・ムーアの加入したリジー
が日本で見れるとワクワクしつつ、チケットを購入。しかし、来日時には
既にゲイリーは脱退、代わりにウルトラ・ヴォックスのギター、ミッジ・
ユーロが加入した5人リジーで初来日した。会場はゲイリーが居ないのに
大ブーイングだったのを覚えている。確かこの数年後に来たスコーピオンズ
も同様で、来日公演ポスターはマイケル・シャンカー加入のフォトであった
のに幕が上がると、ギターはマティヤス・ヤプス。コレもまた大ブーイング
だったのが懐かしい。

 その初来日の一年後、80年にこの「CHINATOWN」のラインアップで来日。
またこの年は元リジーのブライアン・ロバートソンのニューバンド「ワイルド
・ホーシズ」も来日したので見に行っている。
しかも新ギターリストは加入直前まで、私の最も愛するバンド「ピンク・
フロイド」のサポートギターリストだった”スノーウィー・ホワイトでは
ないか。地味だがメチャ、ギターが上手い男である。

 本作品であるがやはりリジーといえば綺麗なメロディーラインのツイン・
リード。スコット・ゴーハムとの絡みはロバートソンとの絡みに引けを取ら
ないアンサンブルである。ゲイリーが抜けた後、バンドの状態は不安定で
あったが、このアルバムを機に再びバンドの人気が上がったのは言うまでも
無い。

 名曲はアルバムタイトルの「CHINA TOWN」であるが、私は1曲目の「WE WILL
BE STRONG」、「DIDN'T I」のツイン・リードがたまらなく好きである。
リジーのツイン・リードといえば「COWBOY SONG」等の名曲もあるが、やはり
マニアックなこの辺も抑えて欲しい。またこのアルバムから後に正式メンバー
となるダーレン・ワートンがキーボードで参加している。しかもこの時に
ダーレンはわずか17〜8歳だったような気がする。若いパワーをバンドに注ぎ
込みたかったフィル・リノットの思いが伝わってくる。

 このアルバムの1年後にコレまた素晴らしいアルバム「RENEGADE」をプロデュ
ーサーにクリス・タンガリーディスを迎えて発売するがバンドの人気は下降線。
83年にはジョン・サイクスを加入させ再浮上を狙うが、この年最後の来日を
してバンドは解散へと向かう。この様な経路からしてこのアルバムは良くも
悪くもバンドの存続をかけたターニング・ポイントとなったアルバムだと私は
勝手に解釈している。しかし、来日の際にスノウィーが持っていたゴールド・
トップのレスポールがやたらカッコよく、当時入社したばかりの私が最も欲し
かったギターであるのを良く記憶している。
最近はこういうカッコいいバンドがなかなか居ないのが悲しいね〜!

by JS


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