Ishibashi Mail Magazine

もう一度、この一枚を聞け! バックナンバー

「イシバシ・メールマガジン」初回発行以来、継続している人気コーナー”この1枚を聞け”の全てのバックナンバーを掲載しました。アルバム発売当時の時代背景やエピソードも満載!ややマニアックな一枚をもう一度要チェックです!


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PRINTED JALLY / 四人囃子




 結成は70年初期、オリジナルメンバーはギターに森園勝敏、キーボードに坂下秀美、
ドラムに岡井大二、ベースに中村真一というメンバーでスタート。72年にジョー山中
率いるフラワー・トラベリン・バンドの帰国ツアー(海外ツアー執行)のオープニング
アクトとして同行し、一躍有名になった。

 当時、プログレッシブ・ロックが海外では流行りはじめ、日本にもピンクフロイド
やイエス、エマーソン・レイク&パーマーといった大御所達の来日ラッシュとなった。
その中のピンクフロイドの名曲「エコーズ」を完璧に演奏できる日本のバンドとして、
デビュー前ではあるが大変評価の高いバンドでもあった。73年に映画「二十歳の原
点」のサントラ盤を収録するが”四人囃子”としての正式デビューは74年に発売され
た「一触即発」である。

 バンドに一回目の転機が訪れたのは75年。ベースの中村真一から佐久間正英にかわ
り、キーボードもひとり加わるが、シングル一枚を出した後に再び4人に戻る。この、
やたらと入れ替わった次期の後に名盤「ゴールデンピクニックス」を76年に発売する。
この中にはインストの名曲「レディー・バイオレッタ」が含まれている。しかし、2
度目の転機が訪れた。 それはバンドの中心的人物でもあった森園勝敏の脱退である。
一時期は解散という噂も流れたほど危険な状態だったようである。

 その噂を一気に吹き飛ばしたのがギターリスト、佐藤ミツルの加入であった。北海
道札幌では大変有名だったバンド”マーシャンロード”に在籍していたギターリスト
である。ルックスも今で言う”イケメン”であり、この当時の音楽雑誌では挙って特
集を組んだものである。その佐藤ミツル加入後の第1作がこの「PRINTED JALLY」であ
る。

 森園勝敏在籍時の四人囃子から比べるとPOP色が非常に強くなったが、曲の中に使
われる楽器に関しても変化が現れている。たとえば一曲目の”ハレソラ”などはイン
トロ部分がマンドリンで形成されていたりと、ファンを裏切らない作品になったこと
は間違いない!

 POP色が強くなったとはいえ、やはり所々にプログレのニュアンスは消えていない。
その兆候はこのメンバーでの2作目、78年に発売された「包(パオ)」に大きく表れ
ており、壮大なサウンドが話題になっていた。そしてこの年には森園勝敏在籍時の俳
優座でのライブ、「'73四人囃子」も発売になっている。このアルバムには全盛期と
いえる時期に演奏された”一触即発”も収録されている。こちらも聞く価値大有りで
す。

 そして、四人囃子は80年初頭あたりに自然消滅となってしまう。メンバーの森園勝
敏はテツ&グットタイムスロールバンドやプリズム等に参加、ベースの佐久間正英は
プラスチックスやプロデューサーとしても大活躍である。バンドはこの後、何度か再
結成をしアルバム数枚にライブ活動も行っている。現在は活動休止中との事であるが、
この「PRINTED JALLY」時代の四人囃子が再びライブで聞いてみたい。とにかくこの
1枚を聞け!