この一枚を聞け! [CHICAGO 16 / CHICAGO]

CHICAGO 16 / CHICAGO
CHICAGO 16 / CHICAGO

 今回紹介するアルバムはブラスロックの先駆者でもあるCHICAGOが1982年の発表した、16枚目のオリジナルアルバム「CHICAGO 16(邦題:ラブ・ミー・トゥモロー)」です。

 CHICAGOは60年代後期のあらゆるムーブメントが入り混じっている時代の中、ブラス(管楽器)を中心としてバンドを構成し、“ブラスロック”と言うカテゴリーを作り上げたバンドでもあります。

 バンドはキーボードのロバート・ラムとギターのテリー・キャスを中心に結成され、バンド内にはトロンボーン、トランペット、サックスのホーンセクションが存在しています。また、ボーカルをとっているベーシストでもあるピーター・セテラはこのアルバムでも中心的人物となっていくのです。この時代の“バンドあるある”でもあるのですがこのバンドもやたらとメンバーが変わるので、あえてしっかり書くのをやめておきます(笑)

 1970年代前半はCHICAGOにとって第一期全盛期でもあります。その軽快なリズムはアメリカ人のツボを得たという感覚でありました。1970年には“25 or 6 to 4”、1972年には“Saturday In The Park”という大ヒット曲にも恵まれ、たぶんCHICAGOを知らない人でもこの2曲はどこかで聞いたことのある曲だと思います!

 しかし1970年中期になるとバンドにもやや暗黒時代がやってきます。78年にギタリスト、テリー.キャスの事故死、そして時代はハードロック全盛期で70年代後期にはCHICAGOのようなバンドは受け入れられなくなっていきました。80年代に突入し、バンド内に大きな変革が必要と感じたメンバーは、後に新しいCHICAGOの中心人物となるビル・チャンプリンを加入させるのです。

 さらにこのアルバムで大きく変革させたことは、プロデュースにデビット・フォスターを採用した事でした。80年代のAORサウンドには無くてはならない人物をバンドのカラーに加えることに成功したのです。変革はさらに進み、バンドにゲストミュージシャンを多く採用します。ギターにスティーブ・ルカサー、マイケル・ランドー、キーボードにデビッド・ペイチ、スティーブ・ポーカロとTOTO総動員です! しかもプロデューサーのフォスターまでもキーボードで参加してしまいます。

 この豪華なミューシャンに加え、ビルとピーターのWヴォーカルと本来のブラスセクションが加わって、バンド内には確実に新たな風が出来たというわけです! その証拠にシングルカットされた“Hard to Say I'm Sorry/Get Away”は全米でNo.1ヒットと返り咲きました。この曲は前半切々と歌い上げる綺麗なメロディーのバラードでありますが、後半はアップテンポのブラスロックへと転調していくのです。当然のことながらPVもしっかり製作され、MTV時代にガッツリと乗っかった形となりました!

 また、CHICAGOはアルバム名にこだわっていません。ホンの一部のアルバムを除いて全てローマ数字で表記されているのも面白いところです。また、ベストアルバムやライブアルバムも数多く発売されています。これは契約関係なのかな・・・?! そしてなんといってもCHICAGOは現在も活動中です。オリジナルメンバーは一人もいませんが、40年以上活動するという事はすごいことですよね! しかも今年バンドはロックの殿堂入りを果たしました!! 初期のアルバムにと一緒にこのアルバムをもう一度聞くとします。

 とにかくこの1枚を聞け!!