Ishibashi Mail Magazine

Ishibashi Mail Magazine Vol.73

この一枚を聞け! [BANG / JAMES GANG]



 ジェイムス・ギャングというとイーグルスのギターリスト、ジョー・ウォルシュが70年代初頭に結成していたバンドで有名である。トリオのアメリカンハードロックバンドではグランド・ファンクとよく比較されたバンドでもあった。

 そのジョー・ウォルシュも71年に4枚のアルバムを残して脱退。後に迎えられたギターリストはドミニク・トロイアーノという人物で、バンドも3人編成から6人〜8人と、アルバムクレジットを見ると何人編成なのか解らないほどの人数になっていた。音楽性も初期のハードさが欠けたよく解らん作品になっている。そんな編成になって2枚のアルバムを出し、1973年にジャイムス・ギャングにも転機が訪れる。

 通算7作目に当たるアルバムがこの「BANG」である。転機にあたる大きな原因は新ギターリストの起用である。天才ドラマー、ビリー・コブハムのアルバム「SPECTRUM」に参加し素晴らしい才能を出したトミー・ボーリンの参加である。以前のジャイムス・ギャングの作品より泥臭さは消えたが、洗練されたギターサウンドは全く新しいものに感じさせてくれる。特にエコー(今で言うディレイ)の使い方が非常に上手く、スペイシーなサウンドをバンドに取り入れている。

 1曲目の”Standing in the Rain ”ではその効果がド頭から炸裂しており、車の中で聞いたら思わずスピードが増してしまいそうな曲に仕上がっております。初期のジョー・ウォルシュがいた時代のジャイムス・ギャングが好きな人にとっては若干違和感があるかもしれないが、私は圧倒的にこちらのサウンドの方が好きなのである!

 翌74年にはボーリン参加ご2作目「MIAMI」を発売するが、バンドカラーはボーリン1色になっていたのには笑える。そのボーリンもこのアルバムを最後に脱退し、ソロアルバム「TEASER」の製作に入っていくのだ。(この1枚を聞け VOL.5参照)

 その先は皆さんご存知のとおり、リッチー・ブラックモア脱退後のギターリストとしてディープ・パープルへの参加となっていく。順風満帆に思われたアーティスト人生であるがそうは行かないのがロックンロール人生。パープル参加という多大なプレッシャーからドラッグへと手を染めていくのだ。まさにマンモスラリピーである。

 そして75年12月に待望のディープ・パープルの3度目の来日となった。しかし、ライブは散々なもので、ボトルネックしか弾かないボーリンに当時の発表は左手を寝違えたというものだった。しかし、真相は粗悪な薬物を摂取し、左手はほぼ動かない手になっていたようで、その結果からスライドバーでの演奏になったようだ。そして76年にはそのディープ・パープルも解散し、ボーリンはソロ活動へと移っていく。

 しかし転落人生はコレだけではなかった。その年の暮れのジェフ・ベックとのツアー中、マイアミのホテルで死体となって発見される。死因は麻薬の過剰摂取によるものであった。実にロックスターらしい死に方であるが、まだ25歳という将来有望なギターリストでもあったのが悲しすぎます。薬物はイカンな!ホント。とにかくこの1枚を聞け!

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