|| Joe Knaggs - History

Joe Knaggs (Photo: Michael G. Stewart)

《幼少時代》
 私は子供の頃から創作的な人間でした。
スケッチをしたり、絵を描いたり、その他美術に関することを色々やりました。特に芸術に対しては特別な思い入れがあり、本来化学や幾何学の勉強をしなければならない授業であっても、頻繁に絵を描いていたものでした。
当時の美術の先生は、他の科目を学んでいる私を引っ張ってきては建物の壁に壁画を描くよう指示したり、美術コンテストへの出品を提案してくれたりしました。
高校時代には、人として尊敬でき、素晴らしい芸術家でもあったロバート・シバー先生の下で美術を教わりました。先生は「オリジナルの」デザインワークを生み出すために必要な、既存の枠組みに囚われることなく物事を考える重要性を教えて下さいました。

《10代》
 11歳の頃、The EaglesのDesperadoという曲でアコースティックギターの音色を聴いたのですが、どういうわけか私はその音の虜になり、ギターを弾くということに対して魅了されてしまったのです。
私は今も昔もニール・ヤングの大ファンです。初めて購入したアコースティックギターはNagoyaのブランドのものでした。その後はGibson L5やES-125、そして61年製のストラトキャスターを使用し、ほとんどこれらのギターを使って様々な曲を弾いていました。
 本格的にギターを弾き始めたのは14歳の頃です。練習は1日6時間から8時間に及び、これは20代になってからも続きました。
ブラック・サバスに始まり――私はあらゆるジャンルの音楽が好きなのですが――ジャズが最も好きです。クラシック音楽であろうが、ブルーグラスであろうが、ハードロックであろうが、それが素晴らしい音楽であれば好きなのです。
その頃、「ファットフィンガーズ(Fatfingers)」というバンドを組んでいました。バンド活動は楽しく、沢山のオリジナル曲も演奏出来た良いバンドでした。すべてのメンバーが曲を書き、週末には皆が書いてきた曲の譜面を読んでは演奏しました。可愛らしい女性ボーカリストであるエヴァ・キャシディは素晴らしい歌声を持ち、共にレコーディングを行いました。彼女はとても良い友達です。今でも時間があれば、私がギターを演奏してレコーディング作業をします。
 他の多くの方たちがそうであるように、音楽に対する強い興味が私をギター職人への道へと駆り立てたのです。自分が持っているGibson ES-125を見ては、それがどのようにして作られたのであろうと不思議に思っていたものです。

《1983年》
 私の職業経歴は、ホワイトハウスやサウジアラビアの王子が住む王宮、レストラン、商業ビルなどで使用される家具の塗装や仕上げ作業を行う仕事から始まりました。
思いつくものなら何でも塗装し、仕上げをしたりしていました。
 化学薬品と塗装対象の相互作用を理解しなければならないこの作業自体が芸術と科学であり、傑出した完成度を求めるには優れたテクニックも必要だと学びました。家具であろうが、ギターであろうが、車であろうが、それらを生かすも殺すも全ては最後の仕上げに懸かっています。
良い仕事をするというのは決して簡単なことではありません。長年にわたって蓄積された知識と実践が必要なのです。

《1985年》
 私はPRS Guitarsにおいて、仕上げを管理する部署のマネージャーとして勤務していました。私とポールは互いにメリーランド州のボーウィで育ったので顔見知りでした。
ポールがPRS Guitarsを立ち上げたすぐ後に、「新しい事業を始めたから来てくれ」と連絡がありました。私は前職を辞めてチームを統括し、ギターに関する仕事を始めました。

《1986年》
 私はポールにPRSの事業において「生産部門のマネージャーが必要である」という話をしました。彼は私を昼食のマクドナルドに誘って「君だよ、君こそが生産部門のマネージャーだ」と言ったのです。
それから4、5年ほど生産ラインでの業務に携わり、今までの楽器作りとは異なる見地や工程を学びました。
ただ管理するだけではなく、作業を担当するスタッフを統括する上で「その工程では何が必要とされているのか」という考えを持つ必要性がありました。

《1991年》
 この時期になると、ここにいても自分の芸術性が役に立たないと思い始め、生産ラインの管理を辞めようと考え出しました。
結果として生産部門のマネージャーを辞め、修景事業を始めることを考えていました。それなら、とポールからアーティスト・モデルの製作を一任されました。
 我々はアーティストとの交流により注力し、非常に良好な関係を築くことが出来ました。その後プロトタイプとなるギターの製作を開始し、それはやがて「Guitars of the Month(ギター・オブ・ザ・マンス)」に選ばれるようになったのです。
同時に生産ライン管理者の相談役も行っており、新しい従業員の教育方法についてもよく相談に乗っていました。

《1994年》
 ポールは当時、いわゆる「限定モデル」のギターを作り始めたいと考えていました。これこそが「Guitars of the Month」の始まりです。
我々はギターのデザインやインレイなど全要素に対して試行錯誤し、完成したギターは自身でも納得のいくものとなりました。「Archtop」や「Hollowbody」といったモデルは、この年の年末にかけてデザインしたボディ形状です。
これらのデザインは「Private Stock」に直結するものでした。

《1995年》
 「Private Stock Program(プライベート・ストック・プログラム)」――始まりは「Guitars of the Month」の延長線上にありましたが、このプログラムの根幹は「ギターを作りたいだけ作っても良い」というものでした。
この考えは素晴らしく、当初私一人で始まったプログラムは人々に快く受け入れられ、段々と成長していきました。
私は日本から年間に2本しかギターの注文がなかったことを覚えています。ピーター・ウルフと2人で世界各国を飛び回って、このプログラムのプロモーション活動を行いました。
 私はプログラムで自由にデザインを行うことができ、後々「Singlecut」や「Mira」、「Starla」やギャリー・グレインジャーのベース、「SC-J」、そしてマンドリンといった形状に繋がるデザインのスケッチを沢山描き始めました。
また、プライベート・ストックの10周年記念に合わせてインレイのスケッチも数多く行い、「Dragon」に使用する材のレイアウトも行いました。

《2000年》
 この年は私が「Director of R/D and Private Stock(製品研究開発及びプライベート・ストック責任者)」と呼ばれた年でした。2009年までこの2つのプログラムの運営し、各プログラムには約20名のスタッフが従事していました。
また、この年は後に「Choptank」や「Severn」、「Patuxent」や「Potomac」を網羅するようなボディデザインを始めました。私は自分のプレイスタイルや好みを反映したギターを作りたかったので、偉大な友人であるエリック・ジョンソンと共にそれらのデザインと製作を行いました。
作業は私がリラックスできる週末に行い、これらの設計やデザイン変更に多くの時間を掛けることが出来ました。

《2009年》
 私は自らが手掛けたデザインを世に出す為に、前の会社(PRS)を退職し、思い切ってKnaggs Guitarsを立ち上げることにしました。いわば「自分自身の描いた絵にサインをしたかった」のです。
私とピーターは同年8月に事業を興しました。9月から12月にかけて「INFLUENCE SERIES」のデザインを開始しました。
 この時期、我々のチームにダニー・デドが加わりました。ピーターとダニーの助けもあり、私は「Kenai」や「Keya」、そして「Chena」や「Sheyenne」といったギターのデザインを行いました。
我々は「CHESAPEAKE SERIES」に用いられているようなアメリカン・インディアンの河川名に拘りたかったため、INFLUENCE SERIESのギターについては北米の河川名を用いるようにしました。
我々はKenaiのプロトタイプを製作し、2010年にアナハイムで開催されたNAMMショーにそのギターを持っていきました。幸いにも良い評価を得ることができ、私とピーターはKnaggs Guitarsでの事業を本格始動したわけです。

《2010年》
 この年こそが正式にKnaggs Guitarsとして事業を開始した年です。
我々は誰しもが事業を始めるにあたってしなければならないありとあらゆること――機械装置類を購入し、融資を受け、販売代理店となってもらえる企業を探し、業務委託契約を結び――ギターの生産を開始しました。
事業を立ち上げた経験のある方であれば、いかにそれが大変なことであるかお分かりかと思います。特に景気が低迷している昨今において、それはより難しいものでした。
 そしてChena以外のプロトタイプを製作し、フランクフルトで開催されたミュージック・メッセに持っていきました。我々はSound Service社と一緒に同イベントへ参加し、公式なブランド立ち上げとなりました。

《2011年~》
 我々は日夜Knaggs Guitarsで取り扱っている各モデルの製作を続け、日本の石橋楽器店と共に更なる展開を続けていきたいと思っています。

<< Back To Knaggs Guitars