懐かしのキーボード達
《懐かしのシンセサイザー/ローランド編 序章《 続編はこちら 》

ローランド製品を語る前に、個人的に非常に興味をそそる人物である、 創業者の梯(かけはし)郁太郎氏の経歴を是非紹介させて下さい。今にち、世界 のトップメーカーとして君臨するローランドという会社も、シンセサイザーとい う未知の楽器を開発し商品化するという過程に於いては、幾多の困難を解決して 行った梯氏を初めとするスタッフの努力がありました。世界の雄ローランドの社 史はすなわち、梯氏の個人史そのものでもあるわけです。梯氏の経歴を紹介する にあたっては、氏自身の著書「ライフワークは音楽 −電子楽器の開発にかけた 夢−」(音楽之友社)を参考にさせて頂きました。創業者の横顔が見えることに より、今後のローランド製品の紹介も、より一層興味深く読めるのではないでし ょうか。

ROLAND 梯氏は1930年(昭和5年)大阪府に生まれます。終戦後、宮崎県の高千穂町へ移り、 その地で時計の修理技術を習得し「かけはし時計店」を開業します。若干16歳の 時というから驚きです。家業としての時計修理業を順調にこなしながら、この頃か らラジオや無線技術に惹かれ始め、その将来性を認識し独学で修理や組立を習得し ます。急速なラジオの普及という当時の状況もあったと思いますし、もちろん梯氏 の興味の対象であったことは間違いないと思いますが、その後、梯氏は本格的にそ の分野へ進むべく大学進学を目指し、時計とラジオの店であった「かけはし時計店 」を精算して、生まれ故郷である大阪へと戻ります。しかし、大阪で大学進学の準 備を進めているときに肺結核を患い、4年間の闘病生活を強いられます。幸い結核 は、当時の新薬であったストレプトマイシンによって治癒しますが、退院までには 何と4年もの歳月を要し、大学進学は断念せざるを得なくなります。しかし、その 様な入院生活の中でも、始まったばかりのNHKの試験波を受像するためにテレビを 組み立ててしまったというエピソードに、梯氏の技術屋としてと側面を垣間見る事 が出来ます。退院後、大阪市内で「カケハシ無線」という電器店を開業しますが、 資金不足で店頭に並べる商品がなく、修理専門店としてスタートしたということで す。この時期、同志社大学のパイプオルガンを見学する機会を得て、その複雑さに 驚くと共に、音源であるパイプ部分を電子発振器に置き換えることを考え、実際に 設計し試作機を完成させてしまいます。鍵盤スイッチは電話用のリレー接点、トラ ンジスター音源、49鍵、12足鍵、「残念ながら音色はオルガンとはほど遠いもの」 と梯氏が感想を述べられる試作一号機の完成が、後のローランドという会社が産声 を上げた瞬間であったかも知れません。

私の少年時代(何時の話でしょうね)、グループサウンズ全盛の時代から、その後の フォーク、ロックの時代に至るまで、ミュージシャン達が愛用したブランドにエース トーンというブランドがありました。こんな文章に興味を示される方で、尚かつ御年 輩の方ならきっとご存じのブランドだと思います。当時のギターアンプではエルクと 共に広く知られたブランドでしたし、コンボオルガン、リズムボックス、ファズ・マ スター(初めて使ったファズで、その音に感激しました)という有名なエフェクター も出していました。田舎育ちの私でさえ、友人の兄が持っていたツイン・リバーブ似 (?)のアンプを借りて使用していたくらいでしたから、その普及率はかなりのもの だったと思われます。1960年代を席巻したGSブーム時代から使用されていたそのエー ストーンブランドを世に送り出していたのがエース電子工業と言う会社であり、その 会社を起こされたのが梯氏でした。梯氏がエース電子出身であることは、私がイシバ シ入社当時に知ることとなりましたが、エース電子そのものを設立されたのを知った のはそれから随分後になります(お恥ずかしい)。当初、資金難で店頭に並べる商品 がなかったという前述の「カケハシ無線」は、家庭電器小売店として成功し、その名 称も「エース電気(電機)株式会社」へと変わります。その一方、梯氏は、電器店を 経営しながら行なっていた電子楽器の製作を本格的にすべく、電器店を後任に任せ、 自身は製造業への道を決心し新しい会社を立ち上げます。1960年(昭和35年)、 ここで、私の少年時代...の話に繋がる「エース電子工業株式会社」がスタートする わけです。

エース電子の初めての製品は、自身のブランドで発売するには、あまりに会社の体制 不足(?)で、結果、ナショナル・ブランド(松下)のSX-601という型番で発売され るされることになりました。兎にも角にも、エース電子製品が世に出た最初の機種と いうことになったわけです。その悔しさもバネとなったでしょう、グループサウンズ 時代には前述の「エース・トーン」ブランドでTOPシリーズなどのポータブル・オル ガンを発売しています(と言うか、発売していた様です)。1968年にはハモンド・オ ルガン(かわら版Vol.15参照)の輸入総代理店として、ハモンド社との合弁会社で、 ハモンド・インターナショナル・ジャパンを設立しています。ところが、順調であっ たエース電子ですが、資本関係の問題を発端に、会社運営での内部事情も有り、梯氏 は自らエース電子とハモンドを飛び出す形で、ゼロから理想とする電子楽器会社をス タートさせます。当時電子楽器業界ではあまり使われていなかった”R”で始まる 名前を社名とする事に決定し、考え抜いた結果「ROLAND」としました。先行する欧米 の楽器メーカーを追いかけ、現在その世界をリードする企業となった「ローランド」 の、そして創業者、梯氏の新たなスタートです。1972年(昭和47年)の事です。

(C) Copyright 2003. Ishibashi Music Co.,Ltd. All rights reserved.

TOP